スポンサードリンク


« 2010年08月17日 | Top2011年08月29日 »

【最新記事】

さてのっけから関係なさそうなお話しだが、
任天堂の不朽の名作スーパーマリオブラザースが
今年で25周年だそうだ。


その時と同じ25年前の秋、私は大学の就職課の求人一覧を眺めていた。
その頃の就職活動と言えば、涼しくなってからやるモノだった。
(だからスーツは冬物1着でOK。夏物は就職してからの給料で買っていた)

涼しい秋といっていっても、三回生じゃなく四回生なのだ。
今の人たちから見れば、この時点ですでに落伍者だろう(笑)
だが周りだってそんなもんだった。
特に美大などに通うと決めた時点で、
落伍者とまでは言わないまでも、「社会から外れた奴」扱いを
受けていた。。それが時代でもあった。


実際うちの親父なぞは、息子の卒業後の就職先は
看板屋しかないと固く信じていた。


そんな涼しい…と言うよりすでに少々寒い時期に
張り出されていた求人一覧には、
きら星のごとき大企業から名も無き東大阪の工場まで、
様々な企業が並んでいた。


その中のひとつに任天堂もあった。
しかし、その25年前の任天堂はきら星のひとつではなかった。
爆発的にマリオは売れていたけど、
みんなの印象は、花札とトランプのメーカー、
しかもマリオが売れて初めて知った…
的な認識だった。


私はちょっと面白そうだなと気にはなっていて、
何だか先は分からないけどキラッと光る
未知の面白さは感じていた…
もちろん現在のような巨大なゲーム市場なんてのは
想像もしていなかった。
そしてそれは、その時代の人々のほぼ共通認識だった…
と思う。
ある一部の人々を除いては。。。なのだが。


私個人に話を戻すと、
就職先としての任天堂を想像した時一番のネックとなったのは、
美大まで出て、あのドット絵を描くのかぁ…
だったのである。


今も、Wiiなどで初期のマリオシリーズで遊べるので
ご存知の方も多いだろうが、
あの頃のゲームのグラフィックと言えば、


まあ…
あんなもんだった。


もちろんパッケージデザインやら、ゲーム全体の制作やら
あったのだろうけど、
どうしてもあのドット絵が引っかかったのだ。


社会から外れた奴といわれて、アウトローぶったり、
オレは違うんだぜ的な気持ちは持っていたけれど、
結局は、美大出のプライドみたいなものに
しがみつきたかったのかも知れない。

世の中の見方だって、
普通一般の視線でしか、見えてなかったのだ。

そんなチキン野郎だから、
任天堂についての認識も、仕事内容もさることながら…
なんか新進企業だなあ、いや創業は古いみたいだぞ、
それより、運を天に任すなんて企業はどうなんだ?


…などというマイナスイメージが増殖して
結局エントリーすらしなかった。
キラッと光る未知の世界は、雲に隠れてしまっていた。


過去について「たら」「れば」を言い出したら、
きりがないから考えないようにしているのだけど、
もし就職できていれば…
ひょっとしたら自分のグラフィックが世界中に
展開していたかもしれない。
そんな可能性を自ら摘み取っていたのだ。


決して、チキンだなんて言葉を使って
けしかけている訳じゃないけれど、
たった一点しかない、しかも「そんな気がする」だけ…
という可能性にかけるという「男前な行動」を
人生の岐路でするのもいいんじゃないかと思う。


「男前な行動」をできなかった人が語ると
全く説得力がないのだけれど。。


ただ、いま就職先を探している人に言うならば、
職探しというのは大した事なのだけど、
それはそれで、ひとつのハードルでしかないのだ。


追い詰められる感覚も分からなくもないのだけど、
それは、単純な思い込みや、すり込まれた情報の枠内で
追い込まれているだけかもしれない。
ひょっとしたら、
皆が振り向かない所に、光が差しているかもしれない。


そして、
どこ行っても、何をしても、
自分の人生の収支は自分の意志で決まるのだ…
だから、人の意見やメディアを参考にしても、
決して騙されちゃいけない…

ということです。

え、
私の収支はどうかって?


そんなもん、棺桶に入った時じゃなきゃわかりませんよ。

スポンサードリンク


デザイナーの仕事

デザイナーのストレスを克服し、なおかつクライアントを納得させる方法論を解説します。 またそれによって、デザイナーが本来の意味で力を発揮できることを目標とします。